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鎌田樹音の母として知られるリリィさんは、シンガーソングライターとしてだけでなく女優としても多彩な才能を発揮し、多くの人々の記憶に残る存在です。
彼女の私生活ではリリィの旦那との結婚と離婚、そしてリリィの子供として生まれた一人息子・鎌田樹音との親子関係など、数々のドラマがありました。
この記事では鎌田樹音の母であるリリィさんの生い立ちから音楽活動、女優としての実績、リリィの息子との絆や晩年の闘病生活まで、彼女の人生を幅広く丁寧に解説していきます。
リリィさんの人物像を深く知ることで、鎌田樹音のルーツや音楽活動にも新たな理解が得られるかもしれません。
◆記事のポイント
* 鎌田樹音の母リリィの芸能経歴と代表作
* リリィと鎌田樹音の親子関係と音楽共演
* リリィの結婚・離婚歴と家族構成
* 晩年の闘病生活と遺作に関する情報
鎌田樹音の母の人物像と芸能活動
- リリィはどんな経歴を持つ人物?
- リリィの音楽キャリアと代表曲
- 女優としてのリリィの出演作品
- 晩年のリリィの闘病と死去
- リリィの遺作と世間の反応
リリィはどんな経歴を持つ人物?
リリィさんは、シンガーソングライターとしてだけでなく、女優としても多彩な才能を発揮した人物です。芸能界での活動は1970年代から始まり、歌と演技の両面で数多くの実績を残しました。
本名は鎌田小恵子(かまた さえこ)さんで、1952年2月17日に福岡県福岡市で生まれました。アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、父はりりィさんが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したとされています。10歳のときに上京し、東映の児童劇団に所属。その後、高校には進学せず、17歳のときに母親を亡くしたことをきっかけに、生活のためスナックで弾き語りを始めました。
芸名の「りりィ」は、当時の仲間が呼んでいたあだ名から生まれたものです。カタカナの「ィ」が最後につく独特な表記は、自らのセンスでつけ加えたと語られています。
さらに彼女は、私生活でも多くの経験を積み重ねました。1970年代にドラマーの西哲也さんと結婚しましたが、わずか1年で別居。その後7年間の別居生活を経て1981年に離婚しました。1985年には別のパートナーとの間に息子・鎌田樹音(JUON)さんを出産し、埼玉県狭山市で子育てに専念した期間もありました。
このように、リリィさんは波乱に満ちた人生を送りながらも、自身の感性と努力で芸能界での地位を築いた人物です。
リリィの音楽キャリアと代表曲
リリィさんの音楽キャリアは1972年に始まり、ハスキーで独特な歌声が多くの人々に印象を残しました。代表曲「私は泣いています」は、1974年にリリースされ100万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。
デビュー作は1972年2月5日発売のアルバム『たまねぎ』で、同年には映画『夏の妹』にも出演し、音楽と演技の両方で注目を集めました。リリィさんは当初、3オクターブの音域を持つクリアな声が特徴でしたが、ある日風邪をひいた状態で日本酒を飲みながら朝まで歌い続けたことで声が潰れ、現在のハスキーボイスに変わったといいます。
「私は泣いています」は、もともと英語のブルースとして作られた楽曲「I’m Crying on the Bed」に自作の日本語歌詞をのせたものです。当初は友人の研ナオコさんに歌ってもらうつもりで事務所に持ち込んだところ、自身が歌うよう勧められたことがきっかけでレコーディングに至りました。
以降も「風のいたみ」「月のセレナーデ」「ベッドで煙草を吸わないで」など、独自の世界観を持つ楽曲を多数発表。坂本龍一、国吉良一、伊藤銀次ら名だたる音楽家とコラボレーションするなど、音楽界で高く評価されました。
晩年には息子・JUONさんと音楽活動を共にする機会もあり、親子でDREAMS COME TRUEの楽曲「その先へ」に参加し、2009年のNHK紅白歌合戦でも共演を果たしました。リリィさんは、生涯を通じて音楽に情熱を注ぎ続けたアーティストでした。
女優としてのリリィの出演作品
リリィさんはシンガーソングライターとしての活動にとどまらず、数多くの映画やドラマにも出演し、個性派女優としても高い評価を得ていました。歌手としての感性を活かし、表現力豊かな演技で視聴者を魅了しました。
演技の世界に本格的に足を踏み入れたのは1972年、大島渚監督の映画『夏の妹』でした。そこから彼女は音楽活動と並行して、映画・ドラマ・CMなど幅広いメディアで活躍していきます。映画では『リンダ リンダ リンダ』『モテキ』『東京無国籍少女』『湯を沸かすほどの熱い愛』などがあり、母親役や個性的な脇役として数々の作品に出演しました。
テレビドラマでは『3年B組金八先生 第6シリーズ』や『救命病棟24時』『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』『半沢直樹』といった話題作にも登場しています。特に「金八先生」では、主人公のクラスメイト・鶴本成美の母親役を演じ、複雑な家庭事情を抱える母親のリアルな姿が視聴者の共感を呼びました。
このように、リリィさんは演技経験のない新人として始まった女優活動の中で、着実に演技力を磨き、長年にわたり多くの役を演じてきました。彼女の存在感は、作品に深みとリアリティを与える大きな要素となっていたのです。
晩年のリリィの闘病と死去
晩年のリリィさんは肺がんと闘っており、その壮絶な闘病生活と家族との深い絆が多くの人に知られることとなりました。最期の瞬間まで音楽と向き合い、家族に見守られながら旅立ったその姿は、多くのファンに感動を与えました。
2016年5月頃、定期検診で肺がんが見つかり、医師から療養を勧められたリリィさんは、以降のライブ活動をすべて中止しました。その間、東京都内の自宅や病院で治療に専念していたとされています。病状が進行するなか、彼女はあくまでも前向きに、残された時間を音楽への想いとともに過ごしていたようです。
2016年11月11日午前6時9分、リリィさんは64歳で息を引き取りました。場所は東京都内の病院で、長男であるJUONさんや義理の娘・吉田美和さんら家族に囲まれていたと報じられています。JUONさんは当日、自身のSNSで「ROCKの時間に旅立ちました」とコメントし、多くのファンから追悼のメッセージが寄せられました。
なお、葬儀は近親者のみで密葬として執り行われました。リリィさんが闘病生活の中でも人とのつながりを大切にしていたことが、静かで温かい最期に表れていたとも言えます。このように、リリィさんの晩年は苦しい闘病生活でありながらも、家族や音楽に囲まれた安らぎの時間でもあったのです。
リリィの遺作と世間の反応
リリィさんの遺作は、彼女の芸能人生を締めくくるにふさわしい作品であり、亡くなった後も多くのファンや関係者から高い関心を集めました。晩年のリリィさんは闘病中にもかかわらず女優業に挑み、その最後の姿をスクリーンに残しています。
亡くなる前年から撮影が進められていた映画『彼らが本気で編むときは、』と『追憶』が、リリィさんの遺作となりました。『彼らが本気で編むときは、』は2017年に公開され、トランスジェンダーと家族の在り方をテーマにした作品で、リリィさんは主要登場人物・サユリ役を演じました。この役どころは、繊細な感情表現が求められる難しいものでしたが、闘病中とは思えないほどの力強く温かな演技が光りました。
もう一つの遺作『追憶』では、四方清美役として出演。こちらは過去の事件を巡るサスペンス要素を含んだ作品で、リリィさんはストーリーの鍵を握る人物として登場します。どちらの作品でも彼女の存在感は際立っており、「これが最後の出演作とは思えない」との声も多く寄せられました。
世間の反応も非常に大きく、公開時にはリリィさんの演技に対する賞賛の声がSNSや映画レビューサイトにあふれました。また、映画の舞台挨拶や特集記事では、共演者や監督たちが彼女の人柄やプロ意識について語り、改めてその功績が再認識されました。
このように、リリィさんの遺作は単なる「最後の作品」ではなく、彼女の芸能人生を象徴する集大成とも言えるものであり、多くの人の心に深く刻まれたのです。
鎌田樹音の母との関係や家族構成
- リリィの子供は鎌田樹音の一人息子
- リリィの息子・鎌田樹音のプロフィール
- リリィの旦那との結婚と離婚歴
- リリィのシングルマザーとしての生活
- 母リリィの音楽共演エピソード
- 吉田美和と鎌田家の家族関係
リリィの子供は鎌田樹音の一人息子
リリィさんには子供が一人おり、その息子こそがミュージシャンの鎌田樹音(JUON)さんです。リリィさんは私生活ではシングルマザーとして彼を育て上げました。
鎌田樹音さんは1985年3月8日、沖縄で生まれました。リリィさんは1980年代に再婚し、その後に樹音さんを出産しています。ただ、この再婚相手については詳細な情報が少なく、表立った活動は確認されていません。育児のため、リリィさんは芸能活動を一時休止し、埼玉県狭山市に移住。しばらくは主婦業と母親業に専念していたと言われています。
また、息子の樹音さんは幼少期から音楽に親しみ、高校卒業後にプロとしての道を歩み始めました。リリィさんは彼に「人を愛することの大切さ」を教えた存在であり、息子にとって音楽のルーツであり精神的な支柱でもありました。
このように、リリィさんと鎌田樹音さんの関係は、芸能界という特殊な環境の中でも強い母子の絆を築いたものと言えるでしょう。
リリィの息子・鎌田樹音のプロフィール
鎌田樹音(かまた じゅおん)さんは、ロックバンド「FUZZY CONTROL(ファジーコントロール)」のボーカル兼ギタリストとして活躍するミュージシャンです。彼の音楽スタイルは、ロックをベースにしながらも、ポップやファンクの要素を取り入れた多彩な表現力が特徴です。
1985年3月8日に沖縄県で誕生し、母はシンガーソングライターで女優のリリィさんです。父もギタリストであり、音楽一家の環境の中で育ちました。樹音さんが音楽の道に進んだ背景には、家庭内に自然と流れていた音楽の空気と、両親の影響が大きく関わっているとされています。
2000年代初頭に「FUZZY CONTROL」を結成し、メンバーとして本格的に活動を開始。2009年にはDREAMS COME TRUEとのコラボレーションでシングル「その先へ」に参加し、NHK紅白歌合戦にも出演しました。この楽曲は、DREAMS COME TRUEのボーカル吉田美和さんとの共同制作によるもので、のちに樹音さんと吉田さんは2012年に結婚しています。
また、バンド名の「FUZZY CONTROL」は樹音さん自身が命名したもので、洗濯機のように人々をぐるぐる巻き込んで楽しませたいという思いが込められています。このユニークな発想からも、彼の音楽に対する情熱と創造性がうかがえます。
現在もソロ活動やプロデュースなど幅広く音楽活動を展開しており、その成長と変化は今後も注目されています。
リリィの旦那との結婚と離婚歴
リリィさんはこれまでに2度の結婚と離婚を経験しており、それぞれに異なる背景があります。彼女の私生活には、芸能活動とはまた違った苦労と決断が詰まっていました。
最初の結婚は1970年代後半、当時バイ・バイ・セッション・バンドのメンバーでもあったドラマーの西哲也さんとのものでした。1976年頃に結婚したとされ、音楽を通じての出会いだったと考えられています。しかし、わずか1年で別居し、約7年後の1981年に正式に離婚となりました。西哲也さんは「ファニー・カンパニー」など複数のバンドに関わっていた実力派ドラマーであり、共演を通じて親密になったようです。
その後、1980年代にリリィさんは再婚しています。2人目の夫は一般人とも言われていますが、音楽関係者であった可能性も指摘されています。この再婚によって、1985年3月には一人息子・鎌田樹音(JUON)さんを出産しました。ただし、この再婚も長くは続かず、やがて離婚しています。
いずれの結婚生活も短期間で終わりましたが、リリィさんはその後も一人の母親として、息子と向き合いながら生きていく決意を固めました。結婚と離婚の経験が、彼女の作品や演技に深みを加えた一因とも言われています。
リリィのシングルマザーとしての生活
リリィさんは、一人息子の鎌田樹音(JUON)さんを女手ひとつで育て上げたシングルマザーでした。芸能活動を一時中断してまで子育てに集中した姿勢は、多くの共感を集めています。
1985年に出産した後、彼女は東京都内から埼玉県狭山市に移り住み、芸能界から一歩距離を置いて生活を始めました。当時の生活は決して派手なものではなく、ごく普通の主婦として子育てに取り組んでいたとされています。育児のためにテレビや映画への出演をセーブし、自宅での時間を何よりも大切にしていたのです。
鎌田樹音さんが中学生になった1997年頃、リリィさんはようやく芸能活動を再開しました。テレビドラマ『青い鳥』をはじめとした作品への出演は、この時期以降のものです。子育てを優先するという選択が、彼女の人生の大きな分岐点となりました。
また、母子家庭であったことが彼女の作品にリアリティを与えたとも言われています。実際、彼女が演じる役柄には、どこか人生の苦みや哀しみを滲ませる人物が多く、観る者の心に深く刺さるものでした。
このように、リリィさんのシングルマザーとしての生活は決して平坦なものではありませんでしたが、息子との強い絆と自立した姿勢が、後の活動の原動力となったことは間違いありません。
母リリィの音楽共演エピソード
鎌田樹音さんと母・リリィさんは、親子でありながら音楽というフィールドでも共演を果たした特別な関係です。親子がアーティストとして共に作品を作り上げるのは珍しく、その背景には深い信頼と絆がありました。
2人が公に共演した最も有名なエピソードは、2009年に発表されたDREAMS COME TRUEのシングル「その先へ」に関わるものです。この楽曲は、DREAMS COME TRUEと鎌田樹音さんが所属するバンド「FUZZY CONTROL」のコラボレーション作品として制作されました。リリィさんは直接この楽曲にボーカルとして参加していないものの、プロモーションやインタビューの場で親子共演の意義について語られており、精神的なバックアップを果たしていたことが伝えられています。
さらに、リリィさんは息子のライブをたびたび観に訪れ、楽屋でも積極的に意見交換をしていたそうです。音楽の世界に生きる母として、ステージングやパフォーマンスに対するアドバイスを与えることもあったようです。このような母子の関わり方は、鎌田樹音さん自身が「自分の音楽の土台は母の存在」と語っていることからも、その重要性がうかがえます。
親子で音楽を通じて交流を深めるという関係性は、作品の表現力にも影響を与えたと考えられます。リリィさんの感性と経験、そして樹音さんの現代的な音楽性が交差したことで、唯一無二のアーティスト像が形作られていったのです。
吉田美和と鎌田家の家族関係
DREAMS COME TRUEのボーカルである吉田美和さんは、2012年に鎌田樹音さんと結婚し、リリィさんの義理の娘となりました。この結婚によって、彼女は単なる音楽仲間から鎌田家の一員へと関係を深めることになります。
吉田美和さんと鎌田樹音さんは、2009年のシングル「その先へ」の制作をきっかけに親密な関係となり、約3年間の交際を経て結婚に至りました。結婚当時、吉田さんは46歳、樹音さんは27歳であり、19歳の年の差も注目を集めました。
家族関係の中で、吉田美和さんとリリィさんの関係は非常に良好だったとされています。吉田さんはリリィさんを「りりたん」と呼び、まるで実の母親のように慕っていたと報道されています。2016年にリリィさんが肺がんで亡くなる際には、最期を見守るために吉田さんも病室に付き添っていたことが明かされており、深い信頼関係が築かれていたことがうかがえます。
また、ドリカムの中村正人さんが自身のブログで「JUONと吉田に見守られての旅立ちだった」と記しており、家族としての強い結びつきがあったことが分かります。芸能人同士の家族関係は複雑になりがちですが、鎌田家においては音楽を介した共通の価値観が、より強固な絆を築く土台となっていたようです。
このように、吉田美和さんと鎌田家は、単なる親族という枠を超えて、お互いの活動を支え合う関係性を築いていました。家族というつながりの中で、音楽が中心的な役割を果たしていたことは間違いありません。
鎌田樹音の母・リリィの人物像と家族関係のまとめ
- 本名は鎌田小恵子で福岡県出身のハーフ
- 東映児童劇団出身で10代から芸能活動を開始
- 高校進学せずスナックで弾き語りをしていた
- 芸名「りりィ」はあだ名に由来し自ら命名
- 1972年にアルバム『たまねぎ』で歌手デビュー
- 代表曲「私は泣いています」がミリオンヒット
- ハスキーボイスは偶然の体調不良から生まれた
- 映画『夏の妹』を皮切りに女優としても活躍
- 『金八先生』など多数のドラマで印象的な役柄を演じた
- 2016年に肺がんで死去、家族に見守られた最期だった
- 遺作は『彼らが本気で編むときは、』『追憶』の2作品
- 一人息子の鎌田樹音をシングルマザーとして育てた
- 息子はFUZZY CONTROLのボーカル兼ギタリスト
- リリィは樹音の音楽活動を精神的に支えていた
- 吉田美和とは義母と嫁として良好な関係を築いていた